はじめまして

ナツメノソウコと申します。

この名前は夏目漱石さんからもらいました。勝手に。夏目漱石が大好き!というほどではなく、むしろほとんど読んだことはないけど、間違いなく彼はわたしの人生に影響を与えた人で、思い入れのある方なのでお名前をいただきました。どう影響を与えたか、それがいい影響だったかは進行形で検証中なのでいずれ文章にして残したいと思います。

わたしは栃木県の黒羽町(現大田原市)というこれぞ田舎という場所で高校まで育ちました。長男家系の長女、しかも三姉妹の一番上ということで、小さい頃から「うちを愛せ」「いい婿をもらうんだぞ」と言われ続け、今は亡きじいちゃんには「お年玉多くしといたぞ」と言われる始末。基本的には期待に応えたい、喜んでほしいという気持ちが行動原理のわたしにとっては、これがどれだけプレッシャーでどれだけストレスだったことか。

海外

自分の人生なのに生まれた時から大枠は決まってるのかと、息苦しさを覚える中、高校2年生で初めて海外を体験することになる。スコットランドのセントアンドリュース市への二週間のホームステイ。夢のような時間だった。大田原市とセントアンドリュース市が姉妹都市となっていて、こちらの高校生4人があちらの高校生4人のお家にそれぞれホームステイして交流するというもの。8人とその家族でネス湖に行ったり、キャンプをしたり、tatooを見たり、信じられないくらいに楽しかった。人生の一番楽しい2週間を選べと言われればこの期間を選ぶ。これまで鳥籠の中にいる気がしていたわたしにとってその経験は十分に刺激的で、外に出たい、もっと色々なところに行きたいし、もっとたくさんのことを知りたいと思いを強くするのも不思議ではない。

恋する建築

漠然と海外に関わる仕事がしたいと思う一方で、ではなにしようともやもや考える日々。そんな時に出会ったのが建築家中村拓志氏の「恋する建築」。建築家って面白い。建築って人を幸せにできるじゃん。海外に関わって仕事もできるじゃんと単純に建築学科を目指し、なんとなく関西いいなと神戸大学に進学することになる。

ここでの経験は何ものにもかえがたいし、何より素晴らしい大好きな人たちと出会い、充実した6年間を過ごすことができた。ただ、ここで残酷な事実に向き合うことにもなった。わたしには建築を設計する才能がない。どんなに時間をかけても他のみんながかっこいいプレゼンをさくさく作り上げていく横で、全然進まない図面を前に愕然と劣等感を覚えたことは今でも覚えている。(たぶん、設計がうまい研究室と隣の研究室でみんなと仲良かったから余計に感じたのかもしれない。)恋する建築を設計できるようになりたいと建築を志たわたしだが、就職活動で設計に進むという選択肢は選ばなかった。正確には選べなかった。

大学、大学院時代で建築単体よりも建築物を含むまち全体に興味を持ち、まちづくりを研究した。これだー!と思った。そうそう人を笑顔にできる仕事がしたいんだとまちづくりコンサルタントにオープンデスクに行ったりした。そこで出会った方から「まちづくりに関心のある公務員って意外と少ないんだよ」と。そういう人になってほしいなという言葉をきっかけに公務員になることを目指す。

県庁職員

ここで当時のわたしにアドバイスするとすれば、一括りに「公務員」といっても国、県、市区町村などいろいろあるということ。それぞれ役割がそれぞれあり、できることとできないことがあるということ。漠然と公務員になればまちづくりに関わる仕事ができると思っていたわたしの浅はかさを笑ってやってください。そんな単純な話ではなかったです。

建築職として県庁に採用され、6年間働き、大好きな同僚も上司もいるけど県庁を退職することを決めた理由は誰のなんのために働いているのかわからなくなったから。このまま一生をここで終えたくない、海外と関わって生きたい。誰かの笑顔に関わる仕事をしたい。県庁という組織はいわゆる小さな日本の縮図で日本という国の抱える生きづらさや問題を肌で感じることができた経験でした。くれぐれも言いますが、人は大好きでした。結婚式に呼びたいと思う人たちがたくさんいる、ほんとに人には恵まれた6年間でした。組織のシステムがわたしにはしんどかったそれだけです。

英語

では、何をしよう。

まずは英語どうにかせねばと今オーストラリアに語学留学に来ています。

英語圏に行けば英語が話せるようになるなんて、そんな簡単なことはないので、その辺の思うところはこれから文章で残していければと思います。

恋愛

もうすぐ付き合って4年になる彼。いろいろあったけど彼の存在はわたしの人生を語る上ではとても大きいのです。これまでに出会ったことのないタイプの彼のことも文章で残していきたいと思います。

写真

写真を撮ること。実はこれが一番好き。何気ない日常こそ宝物だからこそ、その一瞬を切り取って残していきたい。そう思う。

これから

このブログは、わたしのまだ生まれるかもわからない息子娘、孫へ向けたものです。ちょっと悩んだ時、このブログを読んでヒントが見つかったり、くすって笑えたり、こんなどん底な人でも頑張ってるんだと励まされたりそんな読んだ人が上を向いて前向きに歩きだせるようなものにしたいと思います。

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